当摩武彦 男性・40歳 大阪出身
第1回大会出場
2011年の暮れのある日の渋谷での飲み会。「第一回キルギスマラソンがあるんだけど、そういうの好きだよね」、と友人から話を振られてから半年後、名前も聞いたことのない国で、フルマラソンを走ることになるとは思ってもみませんでした。
国土のほとんどが標高1600m以上の高地、ほとんどの人がマラソンというスポーツに縁遠い文化、国中を見渡しても初めてに近い大会運営、走る前、自分の中の不安をあげては切りがありませんでした。
ですが、走り始めてみるとそんな不安はまったく消え失せ、ただただ大きな自然に囲まれながら、人生で経験したことのない素晴らしい経験をすることができました。
ドキュメント映画でしか見たことがないような壮大な山々を背景に、巨大な湖が目の前に迫ってくるロケーション、途中前後に誰もいない瞬間があり、たった一人で見知らぬ星に来てしまったような不思議な感覚の中で走り続けました。
走った後はコースのすぐそばにある、大きさが琵琶湖の9倍、透明度世界第2位のキルギスが誇る巨大湖、イシククル湖でクールダウン、どこまでも透明な水に体を浸して、フルマラソンで火照った体を心ゆくまで癒せます。
そして、初めてだけどなぜか懐かしい味がするキルギスの民族料理を食べながらの後夜祭も、また忘れられない楽しい思い出です。
日本でも他のどこの国でもない、キルギスの魅力を感じに、ぜひ多くの日本人が本大会に参加いただくことをお勧めします。
川久保華世さん
女性・39歳・サハ共和国(ロシア)在住
元JOCV/第1回・2回大会参加
日本のみなさんには、是非キルギスに来て、見て、走っていただきたい!と願います。キルギスを訪れてまず、驚くことは、こんなに日本人に似た民族がこの地球上にいたのか?ということです。彼らは日本人をとても愛してくれており、心から歓迎されること間違いありません。そういえば、日本人ランナーは、マラソン開催地、イシククリへの移動の車中では、ウオッカがつがれたグラスをいきなり渡され、到着すると、そのまま現地人とイシククリへ飛び込んでいらしたようなことも・・・彼らの心からの歓待、友好の証でしょうか。日本人ランナーの心意気を感じたものです。翌日はそのままフルマラソンへ。眼前に広がるイシククリの蒼碧がランナーの目を奪います。
イシククリ、友好の徴ウオッカ、絶景のコースが、みなさんをキルギスでお待ちしています。
五十嵐早矢加さん(旧姓・嶋田早矢加)
女性・29歳/千葉県在住/会社員(元キルギス青年海外協力隊)
第1回大会参加
私にとっての初フルマラソンは標高1800mで異国の地という大挑戦となりました。実際とてもつらくて途中何度も歩きましたが、住民たちが沿道に出て声援を送ってくれたり、大会のボランティアやスタッフの方たちが水や食べ物を支給してくれたり、途中簡易トイレも設置してくれていたので、皆様のサポートによりなんとかゴールにたどり着くことができました。
最大のピンチは、途中低血糖の症状が出てしまったことです。初マラソンということで知識も経験もなく、甘いものを持ち合わせていなかったのですが、医療チームが常に巡回してくれていたので症状を伝え、チョコを届けてくれて復活することが出来ました。このようにサポートはしっかりしているので、安心して走ることが出来ると思います。また、最大の魅力はキルギスの自然でしょう。美しい湖や、連なる高山、草原に放されている馬や羊などを見ながらのマラソンはここでしか経験出来ないと思います。一度はこのマラソンに参加されることをお勧めします。恐らく、一度キルギスに行かれると、すっかりキルギスの魅力に魅了され、何度も訪れることになってしまうと思いますが。
河江有利絵さん
女性・22歳/宮城県出身/関西学院大学総合政策学部
第1回大会参加
「透き通った空気の大自然キルギスで共に走る」 キルギスの大自然走る。日本とは違う大自然を目に焼き付けながら駆け抜ける感覚は、最高だ。駆け抜けているときに変わる景色。地元の人の優しい声援、マラソンスタッフの人の手から渡されるキルギスパン、キルギスの家。キルギスのシルクロードを駆け抜けていると、さまざまな思いが募る。そして、それは後にも残る。
私の場合は、言語が違う人と共に駆け抜けたこと。言語が違うが、目的は同じ「ゴールにたどり着くこと」私は日本語、彼はキルギス語を話しながら共に励まし合う。言語は分からないが、なぜだかこころが通い合う。昔話に昔キルギス人と日本人が兄弟であったという話がある。あまり知られていないが、ずっと昔から縁がある大自然キルギス。また行きたいとふと思うぐらい最高である。
山下尚久さん
男性・29歳/大阪府出身/社会人
第2回大会参加
第2回大会に参加しました。初めは少し曇り空でしたが、雲の合間から青空が見える、また暑すぎないという素晴らしい天候の中、完走しました。また標高も高い事から体力の不安もありましたが、そこまで意識する必要もありませんでした。
不慣れな海外であるだけなく、その中でランニングをするというのは多少なりとも不安はありましたが、大会運営、ランナーへのサポートに対しても、問題なく気持ちよく走る事ができました。
大会運営には日本語が堪能な学生ボランティアなどが多数おり中央アジアで英語があまり得意でない私でも安心できました。また前日は前夜祭が開催され、在キルギス日本大使、またイシククリ州知事の挨拶、またキルギス人演奏者による和太鼓、キルギス伝統料理のフルコースなど大変うれしい歓迎を受けました。透明度も高く、美しい湖イシククリ湖を見ながら湖畔を走って見ては如何でしょうか
松田信治さん(大会アドバイザー)
男性・64歳・東京都青梅市在住/元JICAシニア海外ボランティア
第1回・2回大会参加
「アットホーム」なキルギス国際マラソン大会
キルギスで「中央アジアの真珠」と呼ばれる、琵琶湖の9倍ある湖。それがイシククル湖です。透明度がバイカル湖についで世界2位のきれいな湖の湖畔を走るのが、このキルギス国際マラソンの魅力です。
私は第1回目はJICAのシニア海外ボランティアで、2回目は日本からこのマラソンに参加しました。コースはそれぞれ異なりましたが、湖岸を7000メートルの雪を抱いた天山山脈を見ながらのマラソンは日本には見られない別世界です。
この大会ではキルギスの視覚障害者ランナーと私の日本の伴走グループの仲間との交流も出来、この大会が障害者にも優しいと感じました。そして何よりも素晴らしいのが、地元キルギスの人達との交流です。参加者は800人ほどで「アットホーム」な「手作り」の大会なのです。是非、多くの日本人ランナーが参加して、キルギスの魅力を堪能してくれること願っています。
田中浩洋さん
男性・26歳/タイ王国/社会人
第1回・2回大会参加
首都ビシュケクから、キルギスマラソン開催地である、イシククル州最大のリゾート地チョルポンアタまで車で約4時間。透明度世界第2位を誇るイシククル湖の向こうには、天の山こと天山山脈が見えてきます。地元の人々が民族楽器コムズを叩いていて、我々ランナーの到着を歓迎してくれます。マラソン大会は既にここから始まっています。
私はキルギス国内で初の国際マラソン大会となった第一回、そして翌年の第二回大会にフルマラソンランナーとして参加しました。第一回大会は、国内外の多くのスポンサーの支援で、キルギス国内初の国際マラソン大会が開催されました。人生初標高2000mでのマラソンは想像以上。地元農家の人たちの応援や、子ども達も一緒に走ってくれた事が、心の支えとなり無事完走する事ができました。運営面で反省点もありましたが、キルギスという国が、新たな一歩を踏み出した瞬間をスタッフ&ランナーの皆様と共有する事ができた貴重な大会でした。
第二回大会は、前大会の経験をもとに創り上げたアットホーム感溢れる大会となりました。前大会の様な豪華さはありませんでしたが、現地の協力や大会スタッフのスムーズな連携がランナーの支えとなりました。コースも緩やかになり、牧場の馬や羊、湖を囲む天山山脈を眺めながら、イシククル湖から吹く風にのって、お手製のゴールを目指して気持ち良く走る事ができました。
大会終了後に開かれる、交流パーティーも大変魅力的です。一緒に会話や記念撮影を楽しんだり、名産のウォッカで乾杯したりと、マラソンもパーティーもボーダレス。国際交流の大切さや素晴らしさも実感することができるマラソン大会です。
まだまだランニングの文化の無いキルギスですが、将来、現地の子ども達がオリンピック選手を夢見たり、今後もキルギスと世界を繋ぐ架け橋となる大会となるよう、第三回大会、そして今後の展開が楽しみです。
大渕秀仁さん
男性・神奈川県/社会人
第1回・2回大会出場
キルギスという知らない国。まさか自分が中央アジアの小国でフルマラソンを走るなんて夢にも思いませんでした。コースは透明度世界2位である湖を、沿うようにはしるシルクロード。なんともロマンティックなコースです。
現地入りするまでは言葉やトイレなど、挙げれば限がないほどに不安でしたが、実際現地入りすると、地元キルギス人からの温かい歓迎ぶりには正直驚かされました。
言葉なんか全く分からない。でも「◎※○☆▼・・」と周囲から手を振って声援が送られる。こちらも負けじと「ありがとー」や「がんばれー」なんて思わず大声で返す。
大自然に囲まれた中で、人情味あふれるキルギス人と共に励まし合いながらゴールを目指す。途中では牛の行列がコース横切り、完走後には湖へ飛び込んで汗を流した。そんな体験の全てがキルギスマラソンの魅力なのかもしれません。
この大会に魅せられた私は第2回大会にも参加。現地入りしたそんな私を、第一回大会で知り合ったキルギス人の皆さんが、ちゃんと覚えていてくれたことには深く感激しました。今では多くのキルギス人の友人が居ます。このマラソン大会を通じて私とキルギスは繋がっている。この先もずっとそうありたいと思います。